言葉の泡
ここで引用されていることって、その次の方が大事だと思うんだけどなあ。まあ基本的には、言葉以下の凡々としたところに陥っちゃうもんだよね。俺も、日々の泡はtwitterでずわーっと流す事にした。
でも、mixiやブログで種明かしされてバケの皮がめくれてつまんなくなってしまう音楽なんて、もともとたいしたことないんじゃないの、とも思う。そんなこと言い出したらアーティストはインタビューだって一切受けちゃいけないことになる。「自戒をこめて」と書いているということは、少なくとも岡村さんはわれわれのような音楽ライターも「想像力を剥奪している関係者」だと見なしていることになる。でもね、言葉が想像力を剥奪することもあるだろうが、逆に想像力を飛躍させるきっかけとなることもあるんですよ。
http://onojima.txt-nifty.com/diary/2005/12/post_0234.html
言葉を紡いでも紡いでも、今なお謎感を保ってる(どころか増してる)人で、今ぱっと思いつくのは虹釜さんとテニスコーツ植野さんかなー。違うベクトルのブログだけど、虹釜ブログはエントリを重ねる毎に想像の霧が立ちこめて来るし、植野さんのブログは飯食った話とか書いてあっても、どうしたらよいのかよく分からなくなって来る。そうやって考えたら、結構ブログとかtwitterで言葉重ねてる人が謎感をより醸造している例は沢山あると思う。今、一番好きなミュージシャンズtwitterは、ククナッケさんのtwitです。面白いよね。
この辺の事を、podcastで草案出してみた。まだ準備中ですが、今後がつんとやってきますので、再度告知します。告知事多いのに、溜めてるなー。
つーか、すっげー古い記事だったねー。