天皇と芸術と私

マジでビビった。日本って、こんな感じなんですね、今。

【沖縄】裸体や入れ墨の天皇コラージュ作品…展示を拒否された美術家、県立美術館に抗議
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1242741444/

最近言われてる「レイプレイ」問題とかと地続きな、所謂「表現の自由」問題がここでも取り沙汰されている。レイプや妊娠のみならず、中絶までもをどん欲にズリネタとして扱う事に対する(異文化からの)「表現の抑圧」の問題と、天皇への不敬に対する「表現の抑圧」の問題なんだけど、後者は完全に抑圧者に対する同意で塗り尽くされている事に唖然とする(まあ、ソースは2ちゃんオンリーなので、今後どうなるか分からないんですけど)。

「むかつく」人が多いなら、どっちもゾーニングすればいいんですよ。ゾーニングした中で、自由にやればいい。手を出す人間に、「これはおおっぴらに認められている事ではないのだ」と自覚させながら、後ろめたさの中で表現させれば良いと思う。コラージュもサンプリングも、常にそういう意識というのはある。基本的にグレー、もしくは黒い行為だから。戦う人は戦うだろうし、潜る人は潜るだろう。そうした闘争の中で更新されていく、ゾーニングボーダーの拡張と縮小の過程が、その国/共同体のサブジェクトに対するあり方/立ち居振る舞い方を端的に表現してきたと思うんです。

でも、俯瞰して客観視すると、「レイプレイ」は未だ議論の余地のある芸術だが*1、「天皇をネタにしたコラージュ」は問答無用で無しって事か?おかしいだろ。そもそも、この作品*2の美学を理解出来ない…というか、理解出来ないのは仕方ないにしても、理解しようと努力すらしない姿勢が、この大衆文化を十分に堕落させていると思って、俺の嘆息は今日止まらなかったよ、マジで(だからと言って「国内で不当に無視されている」というペシミズムには陥らないんだけど)。「レイプレイ」はエロゲだから駄目、認められない、って頭ごなしに言ってるのとなんら変わらないわけ。

というか、この国には、今こそモンティ・パイソンが必要だし、そこで行われるであろう超過激で一足先に未来を見るであろう表現世界は、今のブロゴスフィアを猛烈に糾弾するであろう。という確信に近いものがあるよ。そこで行われる思想闘争を、俺は見たいね。マジで、硬直してるよ、今のネット言論。

※このインタビューでは、そもそもこの表現は「自画像を作る」ためにやったと書かれていて、それはそれで素晴らしい試みだと思う。いや、クールですよ、マジで。
http://www.cinra.net/interview/2008/08/05/215300.php

*1:僕は、鬼畜系エロゲに詳しくないので、果たして「レイプレイ」の中に、何らかの批評性があるのか、それはよく分からないんですけど

*2:図参照。俺は超カッコいいと思うよ