あの、水を差される感覚

何が嫌いか分かった。

己の「無邪気」に自覚的でありながら、対象に耽溺して楽しんでいる様に、無作法に横から水をぶっかける行為に対して、僕は怒っているのである。何でそれを感じたかと言えば、例えばオバマ就任の話ありますよね。普通、民主党が日本に対して厳しい政策を取ったりとか、オバマがイラクからは撤退する意向を示してはいるが、アフガニスタンにはむしろ兵を投下する、とかそういう不安要素も鑑みた上で、それでもやはり黒人初の大統領が誕生したという事は喜ばしい事だし、演説に250万人を集めた大統領が誕生したという事は、ニュースバリューが認められる話だと思っているもんだと思っているんだけど、それを横目にみて「オバマが大統領になったからと言って、日本人には何の得にもならない」ということを、実に良く知っているという「叡智の高み」から水を差すというのは、一言で言って無粋だ。何故、誰かが楽しんでいる「宴の場」に、自ら楽しみを見いだそうとしないのか。大統領就任、という場が宴に相応しいと思わないのであれば、何故そこに何らかの興味を示さないのか。己の不明を恥じる事はあっても、水を差すという行為には至らないのではないか。

という事を彼女に話したら、「そういうモヤモヤを抱えてる事って、実は自分の中に種を持っていて、それを発芽させないように努力しているからこそ、簡単に発露している様を見て苛ついたりするんだよね」と返された。したり、と思った。僕も、確かにそんな事を思っていたのだ。

実際、僕はそれでどうしたかというと、「面白がりの才能」を身につけようとしたのである。手本にしたのは二人。一人は、稀代の面白がりスト宇川直宏御大である*1。そして、もう一人は、大学の先輩のシブラージである。彼と一緒にレコードをディグりに柏のユニオンに行った大学三年の時、彼は僕にこういったのだ。「どんなレコードにもかならず良いところはある。それを見つけ出せないのは、自分の恥である」。僕は、NON STYLEが分からない自分を恥じている*2。どんなに分からない事であっても、一人でもそれを楽しんでいる人がいた場合、その良さを理解するよう最善を尽くすべきだ。

そして、それが出来ない時は、すっぱりとあきらめて、何も言わないようにするのも、また良い。

*1:あの人はなんであんなに物事を楽しめるのだろう

*2:そしてNON STYLEの良いところは発見出来た。彼らは滅茶苦茶トークが上手く、面白い。僕は石田のキャラに好感を持っている