中山ヒデ的なもの

そうそう、おもいっきりテレビが、みのから中山ヒデに交代するって話を受けてですねー、僕はみのは嫌だが、中山ヒデは支持する、というステートメントを発表したいと思っているわけなんです。

中山ヒデって、ダウンタウン的な価値観の中でオミットされた芸能人の中でも、最大の悪玉のように感じる事があり、当然僕なんかも森脇健児なんかと同列にして、「なんかこいつの『芸』は嫌だ」とか、もっと言えばこんなものは芸でもなんでもないと思っていたわけなんですが*1、最近考えるに、この人の持っている「なんでもなさ」っていうのは、少なくとも希少価値はあるな、と思えてきたわけです。

例えば大勢のタレントを相手に切り盛りするタイプのバラエティ番組なんかと比べて、ちょっと腰を据えた形でのトーク番組等では、その「なんでもなさ」、もっと言うと、芸能人を相手にしたときの「一般人とは違う独特の感じ」を希釈する媒体としての中山ヒデ、には価値があるのではないか、と考え始めた、と換言しても良いかもしれません。

その効能が分かりやすいのが「うちくる!?」だと思っているんですが、あの番組を見て、その内側で繰り広げられている世界には全く興味のない僕が、それでもなんとなしの至福を感じているのは、やはり偏に中山ヒデの、一見すると「芸が無い」と判断してしまうがちな、しかし実際はかなり手だれの、「希釈テクニック」に支えられているのだと思うのです。内側にある、「我々とは違う世界」を、「我々の世界」と地続きにしてみせる。しかもそのメソッドが、「翻訳」ではなく、「希釈」であるところにも、注目したい。そう考える次第であります。

*1:更に俺はナンシー関の洗礼も受けているので