ロッキンオン的なお笑い語りについての一考察

M-1がパンクブーブーの優勝で幕を閉じた2009年12月20日から早一週間。関連エントリが出揃い、興味深い考察を読める現状をとても楽しんでいます*1

現段階ではこれらのエントリが非常に優れた考察を提示していると思います。

笑い飯による親(M-1)殺し
http://d.hatena.ne.jp/shoshoshosho/20091223/p1

「親殺し」という心理学的に大変重要な意味を持つ用語を用いて、笑い飯の決戦ネタについて紐解いています。結成10年以内の若者たちが「コンテストの思想」に対するアンチを提示し、優勝をかっさらう寸前まで駒を進めたという事実を「親殺し」に見立てるという、ヘーゲル的なお笑い力学の話でした*2。「一番面白かった奴」と「大会優勝者」は違う、という箇所の論拠も、審査員の言を引いて推論したもので、非常に説得力があるものと感じます。

私たちの中にある「理想のM-1」は、終わってしまったのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/ncat2/20091224/1261648298

先のエントリに影響されて書かれた興味深い考察。「審査員の存在」に主軸に置きながら、「主観」と「客観」というここ二回のM-1における重要な要素を提示しています。この著者の主張からは、若干笑い飯にバイアスがかかっている印象を受けフェアではないとは思いますが、「お笑いを客観的に観る事の難しさ/意味のなさ」について考察されています。この辺りは、東京ポッド許可局の【緊急特番“M-1グランプリ居酒屋”2009】における鹿島局員が言及する「美少女コンテスト理論」にも近いかもしれません。

東京ポッド許可局「緊急特番“M-1グランプリ居酒屋”2009」
http://www.voiceblog.jp/tokyo-pod/1017686.html

一方、こうした言説に対して「くだらない理屈並べてねえで、面白ければ素直に面白いでいいだろ」という意見もあります。私はこうした意見にも、共感を覚える面があります。

お笑いオタがまた発狂してて意味がよくわからん
http://anond.hatelabo.jp/20091225013056

たかがお笑いだろ、落ち着け、という空気も、いずれにせよ私は正解だと思います。勿論、その「たかがお笑い」をこねくり回して楽しむ思考遊戯に関しては、それに興じる自由が認められていると思いますけれど。

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さて、先日から、twitter上にて議論*3が行われ、私はある方*4の行為が目にあまるものだったので、それを行う「大義」についてお尋ねしたのですが、彼はそれに答えようとはしないまま「私とか、あと他の一部の何人かが、もうちょっとわざわざロッキンオンとか言いだしたことの意味、考えてから返事してください。脊髄反射ではなく」と仰ったので、その意味について考えてみる事にします*5

それでは考えてみましょう。「ロッキンオン的」なるものの意味するものは一体なんなのでしょうか?その為には、まず原典に当たりましょう。おそらく、今回のM-1、特に笑い飯を巡る考察について「ロッキンオン的」というタームが出てきたのはこの増田が初ではないでしょうか?(間違っていたら、指摘してくれると嬉しいです)

今のお笑いオタって、昔のロッキンオン的なにおいがする。
http://anond.hatelabo.jp/20091225080856

宗教じみたタナソウ語りの自己陶酔っぷり*6に嫌気が差して、二年以上読み続けたロッキンオンの購読を止めた私なので、「ロッキンオン的」な言説に関する嫌悪感は共有しているつもりですが、ではここで言う「ロッキンオン的」とは一体なんなのか。

例えば松村雄策的な自己言及の末のシニシズム増井修のごとき周到な露悪等々、ロッキンオンにも様々ありますが、一般的な常識と照らし合わせても、ここで言われているのはロッキンオンジャパン、もしくは90年代中頃から2000年ぐらいまでのタナソウのものなどに特徴的な文章の事だと想像します*7。自己陶酔の果てに、ある種宗教的とすら言える非現実的な修辞を用いた長文(20000字インタビューとかやってるから、気持ち良くなっちゃうんだろうね)が、「(少し前の)ロッキンオン的」なるものの特徴になるのだと思います。哲学専攻(うろ覚え)の若者が立ち上げたミニコミ誌ならではの、衒学的な物言い。確かに、ここで言われている「ロッキンオン的」とは、実はもっと別の意味を差して用いられているのかもしれません。しかし、その問いには誰も答えてくれない今、私は「ロッキンオン的」なるものを仮想して、論を進めていく必要があります。例えば最初に上げた「親殺し」のエントリなんかはそれにあたるのかもしれません。しかし、逆にncat2さんのエントリなどからは、そのようなロッキンオン的な要素はあまり感じませんでした。あれを、ここで言う「ロッキンオン的」と言ってしまうと、ちょっと長ければなんでも「ロッキンオン的」になってしまう。

結論から言えば、私には「ロッキンオン的」なるものを、「一様に」M-1の、特に笑い飯に言及するエントリから見いだす事は出来ませんでした。なるほど、確かに一部には衒学的な物言いもありましたし、また別の一部には自己陶酔的なものもありました。まるで宗教のように、笑い飯の決断に喝采を送るブログもあります。しかし、それを十把一絡げに「ロッキンオン的」と言ってしまう事に、無理はないのか、とすら思ってしまうのです。








しかし、ここまで来て言います。本当に、ガチで、ロッキンオン的な事やってるのって、件のあなたじゃないですか!

そうきちんとお笑い文化の敵というのを、あぶりだしてくれたことを、紳助さんに感謝します。お笑いを芸術にしてはいけない。芸人はアーティストではない。芸人というもっと上の存在だ。http://twitter.com/toronei/status/6997520823

自分の不満をいまの未来を生きようとしている若者にぶつけて、あたらないでほしい。若者が切りひらくあたらしい価値観の回路を塞がないで。http://twitter.com/toronei/status/6999223012

じゃあ昔のタケちゃんだけ見てたらいいじゃん。私にとって笑いはそういうものじゃない。万人を幸せにしてくれるもの、生きさせてくれるもの。http://twitter.com/toronei/status/6999207461

博士のことの話を読んでから、笑い飯のことを考えると、涙が止まらなくなって、家族に心配されるぐらい越えだして嗚咽して泣いてしまった……。そのあと1時間近く哲夫と西田の顔を思い出しては泣いてしまった……。http://twitter.com/toronei/status/6862458856

twitterより抜粋(ブログだとトラバが行ってしまうので、ご本人の意向もあり、それは出来ません。興味のある方は、調べてみるのも良いかと思います)

凄い自己陶酔っぷり!凄まじく宗教的で尊大な物言いだらけじゃないですか!ロッキンオン的な物言いをするお笑いファンって、あなたなんじゃないですか!しかも、「〜的」と揶揄されるにふさわしい、稚拙な物言いだらけの!

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「もうちょっとわざわざロッキンオンとか言いだしたことの意味」。確かに「お笑い語り」の世界には、ロッキンオン的な言説ははびこっていると思います。今こうして揶揄しましたが、本音を言えば私はそれを決して悪い事だとは思わない。そんな物言いを止めろという権利も私にはないですし、止めさせる必要も感じていません。

私が、件の彼に望むことはこうです。彼の言葉を借りれば、「もうちょっとわざわざ自分の事を省みて欲しい」。

私は先に上げた「犬も食わない喧嘩」の中で、twitter越しにこう申し上げました。「鏡」と。私はあなたを映す鏡です。そしてそれは合わせ鏡になっているかもしれないのです、永遠に続く。他人の中に自分の姿を見いださなければなりません。私は、あなたの姿を見て、少なくとも「私の冗談は本当に人を傷つけるのかもしれない」「私はなんと物を理解していないのだろう」と何度か反省をし、そして実際に謝罪しました*8。それは、控えめに言っても、もっともっと私は内省しなければならないでしょう。そういうコミュニケーションにおける努力を、あなたはしているのかと、私はここで問いたい。上からです。上からの目線で、問いたいのです。

しかし、あなたは変わらないかもしれません。その時は、私は静かにあなたの様を見守るしかありません。「滑稽だな」とか「無様だな」と思う日も少なくないでしょう。でも、たまには思い出して。私がこのエントリを、あなたの事を考えているこのエントリを、朝の7時までかけて書いていた事を。その記憶が、いつかあなたを変えてくれる事を、お祈りして筆を置きます。

(このエントリは、件の方に執拗に絡まれ、「もうお前のブログは観ない」との暴言を吐かれた挙句、見ていないはずなのに延々粘着され続けているid:ncat2さんに捧げます。私も、彼の大変ウィットに富んだエントリに関してブクマをした瞬間に、件の方に「当てつけか」と絡まれたのですが、完全に自意識過剰です。寝込みを襲われたかのような衝撃を受けました。あと、ncat2さんはハンドルが似てるので親近感が湧きますね)

(本当に眠いです。でも、明日まで引きずりたくなかったので。TSの米田さん、今日も頑張ったし、明日も頑張るんで許してください。本当、今週末しかないと思って、UMBも断ったのにこのざまだよ!っていう愚痴)

*1:私は去年あまりに感情的になりすぎたのを反省し、今回はサラッとまとめました

*2:ここでは彼らが「優勝出来なかったから凄い」のではなく、「優勝しそうになったのが凄い。優勝出来たらもっと凄いだろう」という、ごく当たり前の事を述べているに過ぎず、決してM-1否定のエントリではない事にご注意ください

*3:この議論は大変不幸な事に、私が喧嘩を売っているという事にされてしまいました

*4:こうしてぼかすのは、その方から「自分とは関係ないところでやってくれ」という依頼があったからです。twitterを見ればすぐに分かります

*5:私が無い頭を絞って必死に考えている言葉を「脊髄反射」と言われましたが、その非礼については不問とします

*6:human recordsのカドワキ君曰く、snoozerはとても良い雑誌みたいですけど

*7:ただし、私は98年頃からロッキンオンは熱心に追ってはいないので、それ以降も続いている可能性はあります

*8:少なくとも当該の件に関しては。しかし本質的に、私があなたに謝らなければならない事は何一つないと思っております