M-1 2008返歌(または感想の感想の感想)

「今年は、もうどれだけ筆を尽くしても、ただのオードリーファンの愚痴にしか聞こえないから、M-1について書くのはよそうと思う」と彼女に言ったら、「それが良いと思う」と同意されたのですが、id:toroneiさんから直言されたので、返さぬ訳には行くまい。

M-1グランプリ2008」決勝は過去最高レベルの大会になり、最高のチャンピオンが誕生した - 昨日の風はどんなのだっけ?
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20081221/A

M-1グランプリ感想の感想その2〜どうしてオードリーは優勝できなかったのか?編 - 昨日の風はどんなのだっけ?
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20081222/F

M-1グランプリ感想の感想その5〜審査員・芸人・関係者編 - 昨日の風はどんなのだっけ?
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20081223/C

前回の結論

前回の論旨を、もう一度整理させてもらうと、僕の言いたかった事って最初に書いた通り、

「M-1は、こういう形の結論を選択したんだな(善し悪しではなく)」

「真に公正な審査等無いけれども、無いが故に、公正な審査が行われたと言う事を信じさせて欲しい」

の、二点に尽きるんです(勿論、その大前提として、今回のM-1のレベルが高く、大変面白かったという感想があるんですが。だから、オードリーが負け、ノンスタが勝ったからと言って、今回のM-1のレベルが低いとか面白くないとか言うつもりは無いのです。まして、吉本の八百長だなんて、全く思わない)。

一個目の結論は、M-1の審査基準がどこにあるのか、我々一般視聴者の目線の位置を補正する、という動きに他ならないと思います。(僕は)ノンスタの漫才は古いものだと思うし、古いから良いのだと思われてると一応結論づけているから、今回のM-1は「古き良き漫才を取り戻す戦い」の開始を宣言しているのではないか、という意見には(そんな意見があるのだとしたら)同意します。でも、それが「新しい」、「新しいけど古くて良い漫才」とか足下がふらふらしている分には、「ノンスタの優勝」という客観的事実に対して、僕は何のアクセスも出来ない。

でも、それは繰り返しますけど、悪い事とは思わないですよ。そういうもんだと思うし、思い返せば、M-1の歴史ってそういう歴史だよね。納得するしないの差はあれど、10年前であっても圧倒的に受け入れられる強度のある漫才しか、優勝していない。だから今一度考えると、はなから明確にそういう意思を持って審査されている大会だし、「戦い」など始まってもいなかったんだと思ってます。うっかりしてた。*1

次の結論として、はっきり書いているんですが、僕の感想は「万人が絶対満足する審査システム等あり得ないし、万人が絶対満足する審査結果などあり得ない」という点に立脚しています。巨人さんが何度も書いたような審査の難しさというのは、基本的に承知しているつもりです。だからこそ、「公正である」という嘘はついて欲しいんです(ちょっと表現が難しい)。露悪的になるのは、(認識の差こそあれ)段階としてはまだ早いと思います。早い、と思いたい。

「好みの問題」というのが納得できないというけれど

書き方が拙いというのは、僕の(そして一億人の片手間メディアとしてのブロゴスフィア)の本質的問題点として、議論していく余地がある分野の話ですが、そんな文章に拙い僕の言いたかったのは、「好みの問題であるのは当たり前なんだけど、それをあの時点で口に出してくれるな、紳助さんよ」っていう話です。「好みの問題」であることは、重々承知で、それを全く書いていないのが僕の文章の問題であることは、赤面して反省しなければならないところではあります…。

もう、「笑い」なんてデリケートな分野の話をする時に、完全な客観性を保つ何て言うのはそれこそ「スポーツ」で、大変困難な事、換言すれば不可能な作業ですよ。そこに何を見いだしていくかを、吟味して議論していかなくてはならんなあ、と思っています。(あと、「お笑いはスポーツであるべき」というのは半分賛成で半分反対)

ノンスタの「古さ」

決して悪い意味ではなく*2ノンスタの「古さ」こそが今回の勝因だし、あの結果を深酒無しに受け入れた方々の納得の原因だと考えています。もっと、突き詰めると、東京ポッド許可局におけるマキタスポーツの「ドラリオン」発言や、id:Fujikoさんの「初見でおばちゃんがゲラゲラ笑う」というところに行き着くのかなーと思った。確かに、僕が笑ったのは(勿論、あったんですよ、笑いどころ)突っ込まれて左足を上げながら石田が後ろにトントンと飛ばされるシーンだったけど、そこで思ったのは「これ、チャップリンの動きだ」ですよ。これは、僕は普遍性と捉えたね。

だから、これは僕は好意的に(僕の解釈だけど、東京ポッドのマキタスポーツやプチ鹿島のノンスタ評も、ちょっと斜から見ながらも、芸に対する敬意や愛情を感じましたけどね)「ノンスタの漫才は古い」って思いますよ。特に、それがtoroneiさん曰く「大衆」の為の漫才、なんじゃないですかね?そうすると、「古さ」を否定する意味が、僕には逆に分かんないんだよなあ。

紳助の露悪

僕が紳助に関して、ヘキサゴンの面白シーンまで引いて書くのは、M-1の審査を見たからではないですよ。紳助に対する不快感が、M-1の舞台において分かりやすく表出してしまった、という点において僕は不快さの正体を垣間みたし、要するにアウトプットとインプットが逆だと思います。その「不快さの正体」が、

「強引な翻訳」と「勝手な代弁」

にあると思ってるし、僕にとってはそれは楽しめないレベルまで来てしまっていたなあ、というのが正直なところ。

あと、紳助がオードリーやナイツに酷い点数を付けた、という認識は持ってないです。89点って、全然悪い点数じゃないと思う。というか、今回の紳助は、採点に関しては普段の横暴さが影を潜めて、かなり良いラインに持って来ていたと思っています。

「評価しない」とあの場で、あのタイミングで言った事に関して、僕は誰がなんと言おうと、ダイノジの大谷さんが「ばかじゃねえの」と言おうと、はっきり「興ざめだよ、それ言うなよ…」と思ってますよ。「評価しない」って、使われた事もあるんでよく判るんですが、相当な事無いと言わないよ。あれのせいでオードリーが負けたとガチで思ってるわけじゃないけど、もし「バラエティ的な」計算で言ってるんだとしたら、「もしかしてこれは不正なのかしら」と考えてしまう市井の人もいる、という意味も込みで、滑ってるんだと思います。これって、KOCの審査員問題と根が一緒だと思うんですけどね。マジでその辺みんな、いかがなの?

その辺、東京ポッドでは掘り下げてて、これはtoroneiさんは「失礼」としたけれども、失礼は承知でやってる芸なんだからいいんじゃないかな(あ、話が逸れた)。むしろ、先輩芸人の顔色伺ってやってるポッドキャストなんて聞きたくない。マキタスポーツが、「紳助さん…」と言いかけて「誰だ俺。紳助が、〜」って言い直した辺りに、矜持を読み取っていかねばならんと思う。

群衆を演じる

ボケが集団を演じて、ツッコミが一人という形の漫才って、そんなに珍しい漫才かなあ? この日の敗者復活戦だけで見ても、流れ星とかノンスモーキンがそういうネタしていたし(流れ星はその設定、後半だけでしたが)、この部分を見た事もないようなという風に言われると、少し違うんじゃないか? という風に思いますです。

これは完全に僕の勉強不足です…(歴史を全て把握しなければいけないという、「ビートルズが全てやった」的な理屈には異を唱えるものの)時期的にも近いわけだから、そういう流れはあるのかなあ。ちなみに流れ星の群衆ネタも、ノンスモーキンの群衆ネタも見た事無いです。見てみたい。

と言う感じで、明日も仕事なので掘り下げ不足なんですが、許せ!宜しくご査収下さい。

*1:そもそも、id:toroneiさんが今回に「匹敵するレベルの高い年」(豪快に文意を逆転させてしまった)としている、2003年のフットの優勝は、(レベルの高さこそ疑う余地はないものの)僕にとって不満の残る結果だったので、元々の基準線が違うのだと思います

*2:僕のノンスタに対する「悪い意味の批評」は、「全然分かんない」っていう部分です。これははっきり好みの問題でしょうし、分析出来る何かがそこに見いだせるとは思えません