小栗虫太郎『黒死館殺人事件』

黒死館殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ 240)

黒死館殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ 240)

読んだ読んだ。小栗虫太郎。所謂「日本三大奇書」の(僕にとって)最後の一冊であるところの、黒死館殺人事件。まごう事なき、奇書でした。

本編は、衒学趣味で知られる小栗虫太郎による、探偵法水麟太郎の活躍を描いた探偵小説シリーズの三作目に当たる大作。その前の二編(「後光殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」)は、怪奇趣味と、嫌味なほどの知識量に、不穏なものを感じつつ、なんとか処理したんですが、さすがに黒死館は「処理する」なんてレベルで片付く話ではありませんでした…。僕にとってファイロ・ヴァンスなんかが本格的に探偵小説にペダントリーの美学を持ち込んだ最初だったんですが(勿論オーギュスト・デュパンからして凄かったけれども)、法水はその数十倍はペダントリック。博識こじらせて悪夢を見せられているかのごとき知の洪水に、圧倒されてしまいました。

まず、言葉の意味がさっぱりわかんない。ちょっと青空文庫からさらってみるだけで、「格檣(トレリス)型の層襞(そうへき)」とか、「囲繞(いにょう)式の採光層(クリアストーリー)」とか、「屈筋震顫症(アテトージス)や間歇強直症(テタニイ)」だとか、何を想像すればいいのかすらわからぬ言葉が並び、文字面から類推することすら出来なかったりすることもしばしば。

曲がりくねった状況や、解説が明後日の方向に飛んで行くかのごときアクロバティックな展開にも驚かされる。太陽系の内惑星軌道半径から、殺害のトリックの説明を試みたり…。とにかく話の飛躍に付いていくのに精一杯で、指でなぞるようにゆっくりと読み進めていきました。

しかしながら、ふんだんに提示される謎や伏線、そして法水の推理はすこぶる興味深く、読み進めるのを止める事が出来ない。光り輝く屍体、聞こえない音を聴く召使、謎の議論、暗号、呪術、不思議な足跡、自動人形、鳴る筈のない倍音…と、連なる謎に、鮮やかながら何のことだかさっぱり理解できない解釈を与えていく法水の語り口は、まあよくぞここまでというほどの博識に彩られており、その渦に身を任せるという快感を覚えた。

そもそも探偵小説は、「如何に主人公の探偵が凄いか」を楽しんでいる節のある僕にとって、法水の病的なペダントリーには魅了されるばかりで、矛盾や無理がそこにあったところで何のことは無い、非常に楽しく読了しました。内容的にはヴァン・ダイン的な探偵小説というよりは、トマス・ピンチョンとかエーコーに近いかもしれない。